メドフォード空港よりゴールドビーチへ向け西へ車で4時間。
ブルッキングズという港町から内陸へさらに30分ほど入った里山に、オーガニックコットンを使用したソックスブランドを手がける夫婦がいると聞き、我々は訪ねた。
草原の中に小さな平屋が一軒。あたりには2,3軒の民家しかないようだ。
一匹の犬が、家の庭から柵を飛び越えやって来た。犬の尻を眺めながら、招かれるようについて行くと、母屋からゆっくりと老夫婦が現れた。強い日差しに目を細め、警戒した様子の女性は太ももで手をはたくと、しわくちゃな笑顔で優しく手を差し伸べて来た。
まさか!と思うほど声や口調、顔や雰囲気がジャニス ジョップリンに似ている。生きていればちょうど彼女ぐらいの歳かもしれない。
隣に寄り添う旦那はあるがまま、なすがままにこの地に根を張り生息する植物のようで、飾らなく微笑ましい。
二人はこの地の色や匂い、朽ちた樹木、陽に照らされるハーブ達と溶け合い、自然のリズムを真似ながら生きているように見えた。
1970年代初め、彼らリチャード夫婦はアメリカにおけるオーガニックカルチャーの発祥と言われているサンフランシスコにて「ヒッピーカルチャー」や「カウンターカルチャー」を吸収し、年を重ねるごとに自然な流れでオーガニックな暮らしをしてきた。
そんな中、兄弟や仲間の協力のもとアメリカ国内では当時ほとんど見かけることのなかったオーガニックコットンのソックスブランドを立ち上げたのだ。
庭で軽くブランド設立の話などを聞いている中、「そんな事はさておき少し中に入らないか?お茶でもどうだ?」旦那はそう言いながら我々を部屋の中へと案内した。
電気は点いていないが、外からの陽が安定した光を室内に停滞させ心地いい。
見渡す限りテレビやパソコンなどの電化製品は見当たらない。
北向きに設けられた大きな窓の景色は、アーチ状にレイアウトされた数客の椅子によってホームシアターのように演出されている。
台所のテーブルには、シンプルに味付されたナッツやフルーツ。自社製品のみならず、食事も全てオーガニックに生活しているようだ。
「いつからオーガニックフードを始めたんですか?」
「30代後半ぐらいからかな。当時妻は少し体が弱くて病気がちだった。その上医者から処方されたほとんどの薬が体に合わなくてね。今後年老いていく事を考えると、処方箋は体に負担でリスクが大きい。だったら老後医者にかかる費用の事や健康の事を考えると、金銭的には負担が増えるが、今のうちに医者にかからない体を作り始めた方が、スマートだと気付いたんだ。だから今でも医者には掛からず自分たちで育てた無農薬のハーブや、CBDオイルなどで体調を整えるようにしているよ」
人は常に報道、メディア、SNSに触れながら生活していると、物事を見極める冷静な判断を見失いがちだ。
「医者にかかれば病気は治る、特保だから安心安全だ」などと自分の体に、または地球に無責任な手段を選択し冷静に考えなくなる。
それではダメだ。生きる事に責任を持ち、自分に向き合い賢く暮らす事が、オーガニックに生きると言うことだと彼らの生活が物語っているかのように思えた。
「そろそろ靴下の事を聞かせてくれないか?」
すると、「何も語ることはないよ」そう言って彼は自身の手がける靴下をこちらに放り投げ、
「まあ履いてごらん。あ、それと自家製のハーブティーがあるんだが飲んでみないか?」
ニヤリとしながら旦那は台所の奥から乾燥したハーブティーを持ってきては「長旅でお疲れだろ?これを召し上がって疲れを癒したらいいよ。」そう言って旦那は、自慢の自家製ハーブティーを啜る我々を、ニヤニヤしながら見つめていた。
少し青くさいが鼻に抜ける香りが濃厚で味わい深く、生命の味がする。
彼らの生活に溶け込むようにくつろいでいる中、時間だけは進み、暖かな西陽がゆっくりと彼らとその場を照して始めた。
そろそろ時間だ。これからまた4時間、車で空港に行かなければならない。
別れを惜しみつつ車に乗り込むと、バックミラーにはクスクスと笑いながら夫婦が手を振っている。
帰路についてから数分後、手足が気だるい。いや重いというべきか。
次第に思考も身体を後追いしているような感覚になり、自身の型に象られたハッポースチロールに、体を収められたかのように車と身体が一体化した感覚が妙に気持ちいい。
しかしながら窓の向こうの海は、変わることなく景色の中に存在し、このまま一生この光景が続くのではないかという妙な不安にも駆られている。
助手席の友人は何も喋らずただ窓の向こうを見つめている。思考を海の向こうに置いてきたようだ。
「あの時間はなんだったのだろうか?」
不思議な感覚と共に、不安な帰路を進む中、それでも頂いた靴下だけが足元を暖かく包んでくれていて、心なしか安心だ。
西の海に浮かぶ夕日を遠くに感じ、今まさにアメリカントリップをしているのだとラジオから流れるグレイトフルデッドを聴きながら流れゆく景色と余韻に浸っていた。